SSブログ

ソウルメイト見つけた?! [自分のこと]

数年前からの知り合いでなんとなぁく気になる存在の方がいるのですが、ここにきてもしやソウルメイトかなと思ってしまいました。

世代も住む世界も全く異なるのですが、数か月に一度会うたびに共感することが。
水が大好きだったり、香りの扱いや他にも色んな価値観が重なります。


昨日、同業者の友達(この人も多分ソウルメイト)と話していて「自分の身体を触ってもらっても大丈夫な人って世の中に少ないよね、という話になりました。
自分の身体のケアで他の人の力を借りなくてはならないときがありますが、実は人選びが大変なのです。

整体にも通ったりしましたが、素手で直接肌に触れられるのは好きではありません。
そんなことを考えると、それができる人の存在は貴重です。
もしかしたら、この人もソウルメイトかも、と思ってしまいました。
まあ、私が勝手に思っているだけですが。


私も仕事ではオイルも手袋もしないで人の身体に長時間触れるので、自分の身体をニュートラルに保つことに気を付けています。
「無心になりなさい」とよくよく先生に言われたことを思い出します。

「治そう、どうにかしてあげよう」なんておこがましいことを考えるとケアの成果が全く違うのです。
これも邪気っていうのかもしれません。


nice!(0)  コメント(0) 

香りの話。 [自分のこと]

香りには敏感な方だと思っています。
ですので街中のいろんなにおいが気になります。

下の娘もにおいに敏感で、食べ物に関しても隠し味がすぐにばれてしまいます。
「生姜入れたでしょ!」「紫蘇入れてない?」彼女は香りの強いものが苦手です。

その娘が台湾に修学旅行に行って帰国した開口一番、「台湾は臭くてだめだった」

わかります。あの南方独特の香り。そして街中に漂う中華料理の油のにおい。
数十年前、私が香港に滞在していた時に感じていたのと同じ町のにおい。

そして最近の日本では人のにおいが気になります。

レストランに香水をぶっかけてくる女性や、生乾きの衣類を身に着けている人、電車で隣に来たりすると気分が悪くなってしまうのです。
柔軟剤の強すぎる香りも好きではありません。

そんな時私の身を守ってくれるのが、自分の手首に付けた香りです。
不自然ですが、手を顔に近づけたり頬杖をしたりして、自分の香りをずっと嗅いでいます。
さすがにレストランでは、料理がまずくなってしまうのでしませんが。

最近とてもエレガントな香りを付けた方がいらして、本当にうっとりしました。
恋に落ちそうな勢いです。

それはアラミスに似た香りです。

ほんのり手首につけられた香りはいやらしくなく、後ろを歩くとその香りに包まれます。

この香水使い見習わなくては。

最近香水は強すぎるので買っていませんが、何か新しいものが欲しくなりました。

香りは邪気を寄せ付けないためにも必須アイテムです。
仕事中はできるだけつけないようにしていますが、普段からつけられる物でバラかスズランの香りのするものがいいなあと思っています。

なかなかお気に入りが見つからないのも楽しいものです。
nice!(0)  コメント(0) 

母のナクナリ方 [自分のこと]

両親の死に際して学んだことの一つに延命治療の拒否があります。

実は母の臨終には誰も立ち会うことができませんでした。
朝はやく病院から電話があって駆け付けた時にはすでに亡くなっていました。

病院に着いて案内してくれた看護師さんが言葉を選んでいる表情を見て、「もうなくなっているんですか?」と尋ねましたら「電話した時には、もうすでに心肺停止でした。そうは聞いていませんか?」とのこと。
そうは聞いていませんでした。心拍数が急に落ちて、という表現だったと思います。

一般病室から特別室に移された母は穏やかに眠っているようでした。違うのはただ息をしていないだけです。
まだぬくもりはあり実感がわきませんでした。

兄弟が来るまでに時間がかかるので、その前に私一人で死亡診断に立ち会い白い布を顔にかけてもらいました。

身体をきれいにしてくれた看護師さんが「こんな風に病院で自然に亡くなる方ってほとんどいないんです。癌の皆さんは呼吸器につながれたまま亡くなるんです。今朝までお話ししてお水も飲んでいたんですよ。そのあとナースステーションに戻ると急にモニターの警告音が鳴って・・・。病院で点滴を拒否されるかたって珍しいのですが、本当に自然に亡くなられましたね。」とほほ笑んで言ってくれました。

なんか母には申し訳ないですが、ほんのりとした気分になりました。

母はほとんど痛みもなく文字通り安らかに眠りました。

それは点滴をせずに脱水で亡くなったからです。

もちろん最後まで水分を経口摂取していました。
時にはりんごジュースを飲んだり、ゼリーも食べたりしていました。

「ホントウニオイシイ。」とうっすら微笑みながら言っていたのを思い出します。

腹水も最終的にはほとんどなくなって、本当にきれいな身体になってなくなりました。

最後まで点滴と人工呼吸器に繋がれた父とはまるで正反対です。

父は点滴でどんどん身体に水分を入れるものの、癌で腎不全が進みますのでお腹はどんどん膨らむ一方で痛みもそれに伴ってどんどん強くなりました。

最後はモルヒネで痛みを抑えながら、それでも意識がはっきりしているものですから暴れたり、薬の効きが切れてくると痛みで顔をしかめていました。
痛みどめの点滴の落ちる量を自分で最大限に変えてしまうので、そうしないように家族が見ていなくてはなりませんでした。

点滴を拒否して脱水で亡くなる。

それが本人にとっても周囲にとってもいちばんいい方法なんだと、知り合いの看護師さんが後から言ってくれました。

母は多分注射が嫌だっただけなのです。

ですが自らの体を張って、そんなことを証明してくれました。

妹と「そんな風に亡くなりたいね。」と話しています。
「でも点滴断る勇気があるかどうかわからないね。楽だってわかったら打っちゃうもんね。」

私も最期は点滴を断れるようになりたいです。
母は偉大です。
nice!(0)  コメント(0) 

母はなくなりました。 [自分のこと]

昨年、母に末期胃がんが発覚し抗がん剤などの治療を行ってきましたが、治療の効果は全く上がらず、10月に他界いたしました。

享年73歳です。父が75歳で亡くなりましたので、両親ともに平均寿命を下回りました。

とはいえ二人ともなくなる直前に入院するまでは、普通の生活ができていましたので健康寿命イコール人生の寿命でした。
それは家族にとっては何よりもありがたいことです。

知り合いには介護を抱える方が何人もいます。私の年代では普通のことのようですが、その生活は本当に大変だと思います。
50歳にもなると自分の健康もだんだん怪しくなるのに、そんな時に四六時中老人の介護をするというのは並大抵のことではありません。

両親ともに末期癌が発覚した後、およそ半年で他界しています。それが幸せかどうかはわかりませんが、私もそんな風に亡くなりたいと思います。

それが両親から最後に教えられたことの一つです。
死に際して、いろんなことを親から教わりました。

これからすこしづつ書いていきたいと思います。

nice!(0)  コメント(0) 

今年もよろしくお願いいたします。 [自分のこと]

ずいぶんご無沙汰してしまいました。

今年も引き続き細々ながらブログを続けていきたいと思っています。
すこしずつ書き加えていきますのでどうぞ気長にお付き合いくださいませ。

昨年は本当にいろんなことがあり、私の身辺は大きく変化しました。
今でもその変化の途中にいます。

昨年からのことについて、やっと書く気持ちができあがりつつあり、自分の気持ちの整理も兼ねて書いていきたいと思います。
書くことは人のためではなく自分のためなのだと、最近よく思います。

書くことで、自分では気づいていなかったいろんなことに気づいたり、溜飲の下がる気持ちになったりと悪いことはあまり無いように思えます。

もしよろしければ、そんな雑文にめを通していただけたらと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。